どうでもええわ!

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キーワードの時代

プラムの木
カミーユピサロ 『春・花咲くプラムの木』 掲載許可されたものです。)

とつぜんですが、筆触分割というコトバをご存じでしょうか?

19世紀のフランスでは芸術の大転換期を迎えました。それまでの被写体を理想化する伝統的な描き方ではなく、現実の世界をありのままに描こうとしました。彼らは印象派と呼ばれます。

彼らが多用した技術が「筆触分割」です。 絵の具を混ぜてしまうと、暗い色が勝ってしまい、明るい外の世界が描けないのです。そこで、絵の具を混ぜるのではなく、一色ずつを並べて塗ることにしたのです。 

見るものは、別々の隣り合う色を自然に一体として見ていて、明るい風景をそこに読み取るのです。

私はこの「筆触分割」という芸術のテクニックは、文章を書くテクニックにも応用できるのではないかと、思っているのです。
頭の中にさまざまに浮かぶイデアを、無理に混ぜ合わせなくてもいいのではないか。混ぜるコトでよさが失われることもあるかもしれない。

そうした直感から、ここでは「キーワード」にまつわるハナシを3つ、別々に並べてみました。
はじめは3つすべてをうまく整理して、「キーワード」の重要性を訴えれないかなと思ったのですが、無理にひっつけようとすると、強引につなげた感が出てあまりよくないな、と思ったのです。 3つのハナシから、共通点や関連性を見出すのは、鑑賞者いや読者のあなたにゆだねます。

本とキーワード

本を読んでいても実はキーワードを拾っているだけの時がある。

本を読んでいる時、「あっちの文脈」で読む場合と、「こっちの文脈」で読む場合があると思います。

「あっちの文脈」とは、まさに本に書かれているコトに沿って、主人公の立場になったり、著者の立場になって読む状態を指します。

一方で「こっちの文脈」は、本を読みながらもその内容やキーワードから、自分自身の経験に当てはめたり、自分のアイデアを膨らませたりする状態を指します。
「こっちの文脈」の読み方では、ほとんどキーワード単位で読んでいるのではないでしょうか。ぱっと気になるキーワードに出くわして、考え事をしていることに自然とリンクして、本をいったん閉じて、考えにふけることがありませんか? おそらく、誰しもどっちの経験もしたことがあると思います。

しかし、「こっちの文脈」で読んでいることをネガティブにとらえていませんか。 本に集中しできていなくて、全然ページが進んでいない!といって残念がるのではなく、本をきっかけに自らの思考を深めたり、広げたりできるなら、その本は十分あなたにとって役立っていると言えるのではないでしょうか。

それならば、さっとキーワードだけを拾い読みすることを、意図的に取り入れてみると、いつもと違った発想のきっかけになるかもしれない。

イデアとキーワード

・インプット
中学時代の勉強で、みなさんは社会の暗記なんかどんな風に暗記したでしょうか。 おそらく、「享保の改革」「8代将軍」「徳川吉宗」などと、意味はそこそこに、キーワードだけで関連づけて記憶していたのではないでしょうか。
意味を考えるコトもせず、ただキーワードを暗記して、無駄なことをしていたなぁと思ってましたが、実はあの作業も今にして思えば、なかなか効果的なインプット法だなと思うのです。

どんなアイデアを吸収するにしても、相手の意見を理解するにしても、キーワード単位で吸収し、頭の中ではキーワードがまるで、"引き出しの取っ手"のような役割を果たしているのです。

しかし、これだけSNSを中心に情報が日々、洪水のように流れ込んでくると、インプットしたコトがインプットされたままになってしまいがちです。
いまや、ブログやSNS、いくらでも発信ができるのに、受け手に甘んじていてはもったいない。


・アウトプット
そこで何かを発信しようと思えば、意外と取り込んだ情報のわりに、発信できなかったりするのだ。
それでブログが続かなった経験をしたことがないですか?

それはインプットの量が足りないのではなくて、多くの場合が、アウトプットのコツがつかめていないのです。 どんなに流行りの本を読んだり、講演を受けたりしてインプット量を増やしても、インプットされた情報は頭の中では、立体的に散らばっているような状態です。

頭のあちこちに散在した情報をつなぎあわせたり、ひっぱりだしてくる努力をしなければならない。

その起爆剤になるのが、キーワードだ。

新たなキーワードを知ることで、既に持っているキーワード群たちを、まるでハンバーグのつなぎのように、くっつけてくれることがある。
また、馴染みのあるキーワードであっても、頭の奥底に隠れていて、久々にひっぱりだしてみると、新たなアイデアにつながったりする。

ハイデッガーは、学びとは、はじめから自分の手許にあるものを掴みとることである、と言っている。

私たちはすでに多くのことを知っている。しかしそれに気づいていないのは自分なのだ。 自分の手許にあるものを掴み取るためにも、日々新鮮なキーワードに触れることが大事だ。


インターネットとキーワード

インターネットで検索する際も、キーワードが大事になる。検索はキーワード出発だ。
自分の解決したい問題、知りたい問題、をキーワードという形に凝縮しないと、問題解決の一歩が踏み出せないのだ。

それはちょっとした調べものに限らず、研究者の世界でも当てはまる。 

Amazonランキングの謎を解く: 確率的な順位付けが教える売上の構造 」という本で、著者はアマゾンのランキングの仕組みを暴こうとする過程で、数学モデルを仮説だてるのだが、それに関連する先行研究があるのかを著者は知らなかったという。

というのも、関連する先行研究は半世紀以上も前から行われていて、論文も蓄積されていたにも関わらず、その研究にたどり着くための"キーワード"を知らないがために、先行研究の存在に気付きづらく、自分の研究の相対的な位置関係が分からなかったのだ。

このように、カジュアルなグーグル検索にせよ、アカデミックな研究の世界においても、的確なキーワードを知っていることが大きな強みになるのだ。