言葉が思考を作るってホンマなん?
ラグビーW杯が盛況?少なくとも個人的には盛り上がっている。
あの男臭すぎる肉弾戦は、今のなよなよした日本とは対照的で見てて清々しい。
と日本の第2戦アイルランド戦を翌日の楽しみにして、華金酒飲みタイム。
立ち飲みスタイルのビアバーへ。
ラグビーW杯を見ようと日本に来たオーストラリア人とインド人と談笑開始。
僕は日本型受験システムに忠実に沿った英語能力ではあるけど(ゆえ?)、それなりには外国人とコミュニケーションがとれる。
まぁひとしきりどうでもええ話を右往左往しつつ、英語を話してる自分に酔いつつ、心地よい時間はお開きに。
帰り道に台湾ラーメン屋に寄って、腹も膨れてあとは寝るだけ。
その日の夜、4時間しか寝てないのに夜中の3時に目が覚めた。
どうにも頭が冴える。
ここで机に向かったが正解。
自分のこと、彼女のこと、好きなこと、書きたいこと等々、ノートやBlogに無心で書き始めると、不思議と涙の出ることまで思いが巡る。
気づけば、朝の6時46分。有意義である。
振り返れば、あのどうでもいい英語でのコミュニケーションが自分の頭に揺さぶりをかけて、いつもとは違う思考回路になったのだ。
言葉は思考を作るとは言ったものですけど、こんな形で実感するとは思ってもいなかった。
思考回路が変われば、アタマの中でもやもやっと積み重なった諸々のテーマが、うまくまとまる、つながる。
根っこにある頭のストックは変わらないけど、そのパズルの組み合わせが変わる感じ。
確かに英語で会話している時を振り返ると、細かいことを言える英語力はないから、思考がシンプルになってたんですね。
余計な常套句、凝り固まった定型句、思考していない言葉の数々から解放されて、思考して言葉に変換する。無意識にやっていたことを意識的にしなければならない状況。
なるほど、これ使えるな。英語も悪くない。
意図的にこんな頭のスパークを起こせたら嬉しいから、どんどん英語を使っていこうと思うも、使う機会ないやん。
いやはや日本語の使い過ぎ、アタマの硬直には要注意って話でございました。
って、どうでもええわ!