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多重人格者がネット社会を制する

二十面相
(油野愛子|Aiko YUNOさんの作品『viva la vida』@HOTEL ANTEROOM KYOTO


異なる自分を発信できる時代

少し前に流行った私とは何か 「個人」から「分人」へ (講談社現代新書)という平野啓一郎氏の著書で、「分人主義」というキーワードがヒットしました。

要は、人間は個人(individual(=in+dividual)分割できない存在)ではなくて、「分人」(=dividual 分けることのできる存在)であり、人間はいつも同じ1人の自分ではなくて、状況や環境に応じて色んな自分の顔を使い分けているよね、って話でしたね。


私自身毎日、SNSやブログに触れていて、それぞれのメディアで発信しようと思うときに色んな自分の顔を使い分けているなぁ、とふと思い、「分人主義」というワードを思い出しました。


特にインターネットの世界では、 SNSによって、自分を使い分ける。

また同じSNSでも複数のアカウントを持つことで複数の顔を見せられる。

またブログやサイト運営者であれば、ブログやサイトごとに、異なる顔を見せられる。


例えば、私の場合だと、
インスタグラムではお酒マニアとしての「顔」
twitterでは、競馬予想家としての「顔」
別のブログでは、動画を面白く紹介するおじさんとしての「顔」
また別のブログでは、受験生を応援するコーチとしての「顔」

このようにネット上において、少なくとも5つの異なる自分の「顔」を発信していることに気付いた。

こうしてみると、いまのネット社会には様々な功罪があるだろうが、これまでは自分の奥の方に潜んでいた「顔」を発信できる時代になったといえる。

ネット社会は仮面の数だけ強い

一人の人間には、色々な顔がある。つまり、複数の分人を抱えている。そのすべてが〈本当の自分〉であり、人間の個性とは、その複数の分人の構成比率のことである。

(出典 『私とは何か---「個人」から「分人」へ』著者:平野啓一郎 ~諸悪の根源は「個人」~  | 読書人の雑誌『本』より | 現代ビジネス [講談社])



そして上記のように、複数の「分人」の構成比率が、人間の個性と捉えれば、自分の内側に相異なる顔を持ってればいるほど、それだけ個性的であることを意味し、特にネット空間においては魅力的な存在になれるはずだ。

ひとつのブログで自分についてしまったキャラクターを崩すのはいやだ、しかし自分にはまだまだこんな顔もあるよと思えば、新たにブログを作ればいい。
もちろん、異なる顔をひとつのブログに混在させても面白いだろう。

あなたの内に秘める自分の様々な顔を隠すことなく、表現していくことで、新たな自己の発見、ストレスの軽減、また上手くいけば収入源の多様化につながるのだ。

「「二十面相」というのは、毎日毎日、新聞記事をにぎわしている、ふしぎな盗賊のあだ名です。その賊は二十のまったくちがった顔を持っているといわれていました。つまり、変装がとびきりじょうずなのです。  どんなに明るい場所で、どんなに近よってながめても、少しも変装とはわからない、まるでちがった人に見えるのだそうです。老人にも若者にも、富豪にも乞食にも、学者にも無頼漢にも、いや、女にさえも、まったくその人になりきってしまうことができるといいます。 ..... 賊自身でも、ほんとうの顔をわすれてしまっているのかもしれません。」  (『怪人二十面相江戸川乱歩