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ブレードランナー2049 AIの目的は何か?

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初期ブレードランナーを見たことのなかった私、吉田しげるブレードランナー2049で思ったことを記します。

・人間らしさは野蛮さか?

人間らしさ、あるいは生き物らしさといってもいいですが、それに不可欠なのは、「殺す」ことではないでしょうか。

生物が生きていくことは、他の生物を殺すことの上に成立している。スーパーに並ぶ肉や魚は、人間が生物を殺した証です。


殺すことをここでは、野蛮であると定義すれば、人間は生来野蛮です。

レプリカントなるAIは、まるで人間と区別がつかない存在として描かれていて、観る側としては、こいつは人間か?AIか?と分からないような世界。

しかし、人間離れしたパワーをもって、無慈悲に相手(人間とAIにかかわらず)を殺すシーンを見ると、「こいつはAIなんだ!」と分かった気になるのですが、その行動自体はAI固有のものでしょうか?

外見上、力があまりに強くて、無慈悲で、非人間的な印象を受けるのですが、連日のように報道される殺人事件を想起すれば、あのレプリカントの殺害シーンも人間的な行いと何ら変わりのないものに思えてくるのです。

・AIを作る目的は何か?

この映画では、AIは労働力を補うものとして利用されていましたが、AIが子供を産むという「奇跡」にまで言及しており、まさしく人間と変わりない存在にまで発達しているのです。ITにおける発達スピードの速さを考えると、決して遠い未来の話ではないと思える怖い話ですが、そもそもAIを人間たらしめる必要はあるのでしょうか?

確かにAIを活用して、労働力を補うことは理想でしょう。当然、その先に今現在はAIに取って代わられるとは思われていないような職業までも担えるAIを開発しようと企てる者も現れるでしょう。

それはすなわち、AIを人間化することであり、人間にしかできないコトは人間で独占するのか、あるいは人間にしかできないコトまで、AIを人間化して協力させるのか。そこのところを明確にしないでいると、まさしく映画の世界のようにAIと人間が混在して区別のつかないような世界になっても不思議ないです。

クローン人間が禁止されているように、レプリカントのようなAIを作ることもどこかのラインで規制されると思うのですが、ではどこまでのAIならば作っていいのか、という問題も生まれてくるのではないでしょうか。

私個人としては、AIの実用化は単純作業的なレベルに留めておき、一方でAIを通じて、人間とは何か?人間の意識や心とは何か?という人間そのものの理解を深める研究は進められるべきだと思います。



映画そのものへはあまり言及しませんでしたが、映像的な美しさ、人間とは何か?、AIとは何か?、あらゆる切り口から語ることのできる素晴らしい映画だと思います。

初期ブレードランナーを観てから、観るべきだとおっしゃる方もいますが、初見でも十分楽しめる内容だと思います。
ただ、初期版を観たくなることは必至です。